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  • 2017-08-20 (Sun)
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公務員の給与と賞与は失業率とGDP成長率に連動させてみたら?

最近、ちょっと思うこと。

「渡り」の問題とかで公務員の人事制度の改革とか言われているし、それをきちんとやることは大事だと思う。キャリアパスの問題とか、給与体系とか、モチベーションの維持とかいろいろ言い分はあるんだろうけど、だからといって、国民の税金を「食い物」にしても許されるっていうのはない筈だ。

どうやら、「今の制度だと、一流上場企業の人たちほどの給料はもらえないし、肩たたきの制度もあるし、どっかの銀行の様に取引先企業で定年後に働くことはできないから、こういった渡りの制度でそれを取り返すことにしているんです。これって国民の為に働いている我々の当然の権利でしょ?」って彼らは言っているようだ。

でもこれって「となりのA君は僕の2倍もおこずかいをもらっているんだ。でもA君よりも僕の方がいっぱい勉強して成績もいいから、僕もA君と同じだけおこずかいもらえないとおかしいよ。だから(勉強して仕事をしない)A君やB君やC君のおこずかいの一部を僕がもらって当然なんだよ。」と言う子供の弁を聞いているような感じがする。

また「人材のニーズがあるから、そこに行っているんです」という意見もある。実際、そういった例も多々あるだろうし、人材の供給が絶たれると支障をきたすところもあるだろう。でも、何をしているのかわからないような外部発注の隠れ蓑用の社団法人やら外郭団体やらをいっぱいつくり、そこを高い退職金で渡っているとすれば、それはニーズとは言わない。単に国民の税金を食い物にしているだけだ。

霞ヶ関の官僚の人たちとは一緒に仕事をしたこともあるし、彼らの優秀さや勤勉さも知っている。「言い分」にあるような問題があることも聞いているけど、それって彼らだけの問題ではなく、民間でも往々にして見られる様なことではなかろうか? 民間の人たちはそれでも頑張っているんです。また彼らのそのエネルギーが、上記のような理論武装と制度設計に日々費やされているとすれば、これは日本における人材資源の無駄遣いに他ならないと思う。

しかし、どうしてこうなってしまうのだろうか?

前述したように、キャリアパスとか給与体系とか、いろいろ制度的な問題はあるのだろう。そして、それらは一つ一つ解決していかなければならない。でもそれ以上に、税金を払う人間(一般国民、民間企業)と税金を使う人間(=公務員)の間で、利害の方向が異なることが問題じゃないのかと思う。

公務員はリストラされないけど、一部上場企業でも倒産するし、倒産しなくても首になる可能性もある。公務員の給料は定期的に上がるけど、一般企業の給料は下がるし業績が悪ければボーナスがもらえないこともある。つまり、給与減やボーナスカット、そして失業といった普通の国民が憂いていることを、公務員の人たちは気にする必要はないし、自分自身の痛みとして(直接的に肌で)感じることはない。逆に失業が増えたり景気が悪くなれば、失業対策とかで公的部門の出番が増え、彼らの「縄張り」の拡大余地が出てくるので、公務員にとってハッピーなのではないかという、少しひねくれた(?)見方もできよう。

要は、公務員と民間企業の、景気や失業に対する利害関係が一致していないどころか、逆方向を向いているということだ。だとすれば、お互いに同じ方向に向かせることが事態の解決の第一歩だと思うし、それによって、一緒に日本をどうにかしていこうという気持ちに持っていくことができると思う。

じゃあどうやって同じ方向を向かせるのか?

タイトルにある様に、公務員の給与・賞与は、失業率と名目GDP成長率と連動させればよいと考えている。公務員の給与の昇給率は、失業率が上昇すると下がり、失業率が低下すると上昇するようにすれば良いと思う。失業率が一定のレベル(自然失業率+α%)以内に収まれば、これまで通り民間の平均昇給率に連動させ、それより悪化すれば、失業率の悪化に比例して給与を削減する。同じように賞与も考えて、名目GDP成長率が一定の水準を超えれば支給され、マイナスになればボーナスがなくなるようにすれば良い。

公務員は失業の心配がないわけだし、これ位のことをやってもバチは当らないと思う。だって、失業率が増えるってことは、所得税が入らなくなるし公的負担も増加するわけだから、収入減にあわせて給料を減らすのはありだと思う。同様に、経済が成長しなくて企業業績があがらなければボーナスがでないのが民間なのだから、民間企業のボーナス支給額からとれる税金の増減が公務員の賞与の一部に充当されるとすれば、名目GDP成長率と公務員の賞与が連動するというのは、それほど突飛な案ではないのではなかろうか?

失業率が上昇したら給料が下がるのなら失業対策に知恵を絞るだろうし、GDPが成長すればボーナスが上がると思えば本気で現実的な政策提言なんかが出てくるのではなかろうか。


tag: マクロ, 意見
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21世紀の国富論

 「市場原理主義」への批判からか、一時期盛んに話題となったコーポレート・ガバナンスや、「会社は誰のもの」といった話がすっかり聞かれなくなった。とはいうものの、資本主義の制度で株式というものがある以上、企業を取り巻くステークホルダーとの関係の中で、株主を無視、あるいは軽視していいというわけではないと思う。また一方で、過去5〜10年位のあいだで世界経済が成長してきたフレームワークの見直しも求められている。ということで、たまたま目についた「21世紀の国富論」(原丈人)という本を読んでみた。

読み始めは、正直すこしずっこけた。「『モノ言う株主』=グリーンメーラ、ハゲタカ、短期の売り抜け最大の目的」といった単純な図式にのった論調が続いた後、PUC等彼の得意とする情報技術分野の説明が続いた辺りで、「どこが国富論なんだろう?」と読むのをやめようかと思った位だ。

薄い本だし文字数も多くないのでそのまま読んでいくと、段々と彼の主張がわかってきて面白くなり、最後まで一気に読み終えた。確かに、国の経済に豊かさをもたらすには、「新しい技術」で新しい産業を生み出さなければならず、そこでベンチャーキャピタルの果たす役割は非常に大きい。そして日本と米国のベンチャー企業やベンチャーキャピタルに対する態度・姿勢の差は非常に大きく、それがそのまま90年代以降の日米の生産性の格差につながっているのかもしれない。数字だけは世界第二位のGDPを誇る日本が、その大きさにふさわしい世界への貢献をするためにも、世界の経済に豊かさをもたらす「技術」を日本発でつくっていかなければならないというのは、まさに彼が書いている通りだと思う。

ただ一方で、今(当時?)の株式市場や「モノ言う株主」の行動がベンチャーキャピタルにとってよほど望ましくなかったのだろう、アグレッシブで問題があったかもしれないヘッジファンドと株主をひとまとめにして一刀両断し、投資家がリターンを求めることを否定する主張に見えてしまうのは残念だ。本来長期投資をするはずの年金などが何故四半期毎のリターンを求めるのか、そういったところに踏み込まないと、単にベンチャーキャピタルへの優遇を求める「うすっぺらい」主張に見えてしまわなくもない。

 自らの理想とする社会のあり方を目指し、必要と思われる技術を育て、必要と思われる形に制度や仕組みを整えていくこと。それが実業家として、またベンチャーキャピタリストとして私がこれまで行ってきた、そしてこれからも行っていくべき仕事だと考えています。

と書いているが、自らの理想を実現するための「道具」としてこの本が書かれているとすれば、全体のコンテクストも納得がいく。

ちなみに「モノ言う株主」を批判するところで以下のように書いている。

 「モノ言う株主」の要求通りに資産をスリム化し、内部留保を配当として吐き出してしまえば、企業はリスクが高くてもやらなければならない研究開発や、思い切った中長期の投資ができなくなり、先細りとなります。
 
確かに正論だし、原さんがやられているベンチャー・キャピタル、特にIT系のそれなんかはまさにそうだと思う。でも、リスクが高い研究開発や中長期の投資をやらないにもかかわらず、現預金をバランスシートに溜め込み続けた会社も多いし、実際、スティール・パートナーズとプロキシー・ファイトをしたブルドック・ソースなんかはその典型例ではなかろうか。「モノ言う株主」を全否定してしまうと、そういった企業の経営者の行動まで正当化しまって、資本がそういったところで「無駄に寝てしまう」のではないだかろうか。そして「無駄に」資本が使われてしまうと、「本当に」経済の成長を促す研究開発や投資をしたいと思っているところに十分資本が行き渡らなくなってしまう可能性もあると思う。

さてベンチャーキャピタリストについて以下のように書いており、ウォーレン・バフェットが言っていることと同じ様なことだなと気付いた。

 「リスク回避」という言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、投資のポートフォリオなどに代表される「リスク分散」という手法でしょう。しかし新しい技術を育てていくベンチャーキャピタリストの手法はむしろ「一点突破」型であり、集中的に資源を投下しなければなりません。あらゆる困難を想定して処方箋を準備するのはもちろん、予期しないことが発生すれば柔軟かつ機敏に対応する。これが最最大のリスク回避策なのです。
 
不確実性を極力排除してひとつひとつのオッズを上げるか、不確実性は持ったまま分散投資して平均的なオッズを上げるかという議論だろう。しかし株式への投資というのは、その投資先がより事業(ビジネス)に近いものになればなるほど、そして投資資金が大きくなればなるほど、こういったやり方をとらざるを得ないのだと思う。

また、彼は以下のようにも書いていた。

 産業によって優れた製品を生み出し、お金儲けをするだけではない。新しい時代に合った価値観を同時に発信していく。そのようなことができて、はじめて日本が本当の意味で「世界から必要とされる国」になるのです。

ジャパン・パッシングと揶揄されることがない、「世界から必要とされる国」として日本が生まれ変わって欲しいものである。




tag: コーポレート・ガバナンス, 読書

消費する米国と輸出するアジア

米国の不動産バブル崩壊をきっかけに、これまで世界経済が成長してきたフレームワークも壊れてしまったとも言われる。

そのフレームワークとは、「不動産価格の上昇を利用してレバレッジをかけて借金し、それで消費を拡大していた米国」と、「米国の経常赤字をファイナンスしながら商品を輸出していたアジア」が、相互に依存関係を深めながら成長していたというものだ。

米国の家計部門の負債の名目GDP比、世界輸出数量に対するアジアの輸出数量、そしてOECD算出の実質住宅価格指数を並べてみると、そういった関係が確かに見られる。

39facb75.PNG

今の信用危機や世界的な景気後退の背景に上記の構図があるのは間違いないんだろうけど、じゃあ問題を解決するために、10年以上前の世界の状態に戻ればいいかというと、そういう訳でもないと思う。

バブルになってしまった米国の住宅価格の調整は必要だろうが、国際的な資金の過不足をやり取りするのは、自由な貿易とともに、健全な世界経済の成長の為に必要不可欠の筈。ただそれがちょっと異常なレベルにまで膨張してしまったのが問題だった。

何かのが国際的な経済の調整機能を阻害しており、その歪が欧米の不動産バブルや過剰消費へとつながったんだろうけど、問題は、何がその「要因」だったのかだ。

「信用危機=米国バブルの崩壊=市場原理主義とグローバル化の終焉」

といった単純な図式の論調も多いが、それだけが「要因」とは考えにくい。円安が悪いという人もいるが、それよりも人民元が安すぎたのが一番大きいんじゃないかなと思っている。

いずれにせよ、アジア各国が相対的に割安な通貨水準にあって、それがアジア各国を欧米への輸出をベースとした経済構造へ過剰適応させてしまったというのはあると思う。でも、資本主義やグローバル化まで否定してしまうとすれば、やりすぎじゃないだろうか。




tag: マクロ

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Author: hamachan

資産運用会社で働いています。株式市場とか、マクロ経済とか、思いつくままに覚え書きです。

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